題材7 自立的鑑賞活動

自立的鑑賞活動のあり方を考える

1 はじめに
 鑑賞活動は表現活動に内在するものと自立した活動として純粋に作品や対象を味わうことの二つに大別される。造形教育で鑑賞の自立が強調されてきたのは最近のことと言える。
2 鑑賞への想い
 私自身が鑑賞活動の重要性を改めて意識したのは昭和54~55年に文部省の教育課程研究の指定を受け て、指導法の工夫の一環として教室掲示などの環境構成に留意してからである。しかし、主として表現のための鑑賞であり、制作中心の授業が続いた。鑑賞の対象は自校の生徒作品や他校から借りてきた参考作品がほとんどだった。また、写生大会の場所やデザイン題材に関わって自然の形や風物の自作スライド化に意欲を燃やしたこともあった。
 その内に(15年前頃)ビデオが普及してきた。そこで、これからはビデオで鑑賞の充実をめざそうと大金をはたいて、βマックスのビデオを揃えて、生徒に見せることを楽しみに、一生懸命NHKの日曜美術館を中心に録画した。当時、各学校にもβ方式の機器が沢山導入されていた。約3年間で100本くらいのコレクションになった頃、β方式はVHSとの争いに破れて市場での勢いを失っていった。しまった。その後数年で学校のビデオからβ方式は私の、ビデオによる鑑賞の充実は、機種の消滅という思いもかけぬ障害に加えて著作権の問題にも打ちあたって、貴重な録画コレクションは残したが充分な教育実践はできなかった。
 その後、指導要領の改訂があったり、私の所属する上越美術教育連盟とアメリカ・インディアナ州の美術教育連盟との交流により、美学(審美)美術批評、美術史、作品制作を貫くDBAEの理念について学ぶ機会を得、自立的な鑑賞について考えさせられた。また、'90年には上越教育大学に交換教授と して来られていたイギリスのメイソン教授との交流で多文化教育の必要性、とりわけ「育てる鑑賞力」の大切さを教えていただいた。
 そのような歩みの後、一昨年、昨年と、第20回新潟県美術教育研究大会の研究を担当する機会を得て、研究の柱として「鑑賞教育のより一層の充実」を掲げることとなり、小中の公開授業の半数を鑑賞指導で実施したわけである。
 そして今年になって唐突に、私が取り組み始めているのは、インターネットによる鑑賞である。まだインターネット初心者で受信が中心だが発信できるように努力中である。
3 鑑賞活動の意義について
 鑑賞活動は、作品などの対象を見る、視る、観る触ることにより、それを享受するとともに造形的言語、視覚言語の語彙や文法、象徴的意味などを感受していくという大きな広がりをもっている。
 見るの他に視る、観ると書いたが見ることは単に網膜的なことではなく視覚を契機として記憶や知識を働かせる総合作用である。見て、触れて、空間を感じて、それを束ねて対象・世界を認識するわけである。また、視覚に写るもの全てを見ているわけではなく、関心を向けているものを中心に見ているのである。
 今、子供たちは消費型社会や情報化、国際化社会の中で、過剰な映像や情報に囲まれている。その反面、直接体験が不足し心の貧困化が問題となっている。つまり、多様な時代の価値観の渦中で主体的にものを見る確かな力の育成が要求されている。
 また、近年、全国各地に美術館が設置されてきて子供にとって本物に触れる美術鑑賞の場が増えてきていることから、自立的鑑賞活動としての作品享受力や作品理解力、作品批評力の育成が求められているわけである。造形教育は鑑賞力・人間的真実や美しさを直観的に見抜く審美的感性や多様な表現や造形美に対する批評力、異なる文化を理解享受する力をどう培うかという今日的課題を突き付けられているのである。このような考察から、表現活動に従属するものばかりでなく自立した鑑賞活動の充実を求めていかなければならないと考えるわけである。
4 実践について
 鑑賞活動の充実めざして、日々の学習と関わらせた教室掲示の工夫の他、中頸城郡吉川中では渡り廊下のスペースを「吉中ギャラリー」とした。表現活動と強く関わらせる作品展示や地域の作家の協力による版画コレクション展や生徒の個展、私自身のミニ個展などで美術への興味・関心を引き出すことができたと評価している。続いて跡付ける形のものも含め自立した鑑賞活動の実践を2つ紹介する。実践の視点は「本物に直接ふれる体験的鑑賞活動の推進」である。
⑴アパルトヘイト否!国際美術展吉川展の開催
 8年前(1988年)の9月8日こと、まだ南アフリカのマンデラさんは獄中にあった。アートディレクターの北川フラム氏のプロモートで全国巡回した本展を吉川中の体育館に招致した。午前9時40分より展示作業を開始し、11時開場、午後5時搬出開始という過密なスケジュールを3学年91名の生徒と共にまさに体験した。
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観客は、町内の小、高、町民も含め約1000人。展覧会の招致について、企画、運営、実務等全てを経験して、上司、同僚や地域の理解、協力がありがたかった。世界を代表する沢山の作家の作品をより身近に感じることのできたことは生徒はもとより私自身にとっても貴重な体験だった。
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⑵「インド・ミティーラ民俗画展」の鑑賞
 昨年の東頸城郡松代中での実践である。隣の十日町市にあるミティーラ美術館の全国的な巡回展で、町の地域振興課が文化事業として開催してくれた展覧会である。当美術館の設立当初の事情も私自身よく理解しており、授業としてきちんと位置付けて鑑賞した。全学年173名で2時間、7月6日に実施した。
 題材の目標は「インドのミティラーの異文化美術にふれて自分のものの見方、感じ方を広げる。」
支援のポイントとしては、町の振興課からいただいたヒンディー語の挨拶ことばを記載し、簡単な模写と感想を課題とした鑑賞カードを持たせた。細かい観点は設けず、異文化体験、国際交流の気持ちを大切に素直に鑑賞 させた。美術部は制作実演のシャンティさんからミティラー画の実習をさせていただけるようお願いした。
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 町の文化祭以外では本格的な展覧会は珍しく数年に一度の絶好の美術鑑賞の機会であった。「ナマステ=こんにちは」と話しかけて笑顔で応えていただいたり、作画実習で身振り手振りで教えていただいた体験。下書きもなく自在に竹ペンを駆使して描きだす妙味に心を動かされた感想が多かった。
5 おわりに
 以上2つのような例は、毎年確実に実施できるものではない。このような鑑賞の機会があれば指導計画を組み替えもやぶさかでないということである。美術科経営に問題が回帰してくるが、日常的には美術教室はもちろん校舎空間のギャラリー化を積極的に推進していくことが大切である。
 その他、小さな工夫であるが、私は、生徒に美術を意識させるため、指導の際の服装でネクタイに気を配っている。輸入もののゴッホやピカソ、ミロ、カンジンスキーなどの作品のネクタイやデザインの面白さを感じさせるものの着用を心がけている。また、テストの問題には必ず、教科書図版の作者名や指定図版の鑑賞作文を出題し、作者名を覚えさせ造形的語彙力を増やすような配慮をしている。
最初にふれたインターネットは、個人として5月に始めたばかりである。ルーブルやニューヨーク近代美術館、日本では大原美術館などのページを開いてみている。ルーブルでは額縁付きのモナリザが意外とリアリティをもって迫ってくるのに驚いた。学校がインターネットにつながる日が楽しみである。 ( 開隆堂 1996年-通巻354号掲載。一部省略)


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